自然を観察する眼【牧野富太郎・ファーブル・シートン】

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研究者のスケッチを見ると、自然を観察する眼に驚かされることがよくあります。

ここでは植物分類学者の牧野富太郎、博物学者のファーブル、シートンの3人のスケッチと生涯を紹介したいと思います。

牧野富太郎

1862年~1957年  出身:日本  植物分類学者
代表作:牧野日本植物図鑑

「日本の植物学の父」と呼ばれる人物です。

独学で植物について学び、生涯を通じ1500種以上の植物を命名しました。

1887年(25歳)「植物学雑誌」を創刊。

1889年(27歳)には日本で初めて新種の植物に学名をつけたことで有名です。

牧野富太郎
ヒガンザクラ
「コヒガンザクラ、ヒガンザクラ」 和紙、毛筆 1892年

ジャン・アンリ・ファーブル

1823年~1915年  出身:フランス  博物学者、作家
代表作:ファーブル昆虫記

日本ではファーブル昆虫記で有名ですが、菌学者、教師としても活躍しました。

子供の頃から家が貧しく、4歳から7歳まで祖父の家で育てられます。

16歳の時には給費生として優秀な成績で師範学校に入学し、学費無料、食事と住む場所を提供してもらいながら勉学に励みました。

卒業後は小・中学校で教師として働きながら研究に打ち込み、

1856年(33歳)、コブツチスガリの研究論文で実験生理学賞を受賞。

1879年(56歳)に昆虫記1巻を刊行します。

その後も継続して執筆し、1907年(84歳)には昆虫記10巻を出版しました。

ウシグソヒトヨタケとその他のきのこ 1885年

アーネスト・トンプソン・シートン

1860年~1946年  出身:イギリス  博物学者、作家、画家
代表作:シートン動物記

シートンはカナダの大自然の中で動物と触れ合いながら育ちました。

カナダの学校以外に、イギリスのロイヤル・アカデミー美術学校やフランスのジュリアンズ・アカデミーで、本格的に絵画を学びました。

経済的に困窮する中、動物の挿絵や講演会、作家として生計を立て、父親への借金(父親から成人するまでの養育費を返済するように求められた)も返しました。

自然と調和した暮らしや自然保護に尽力し、ボーイスカウトの創設や動物保護区の設立に貢献しました。

オオカミの全身像

牧野富太郎・ファーブル・シートンの共通点とおすすめ書籍

とにかく絵が上手い

3人に共通する点として絵がとても上手なことが挙げられます。観察力が高い緻密で繊細な描写に、引き込まれます。特にシートンは画家としての専門教育も受けており、「シートン動物解剖図」では様々な角度から動物の筋肉や骨格が描かれており、動物を描く画家にとっては必読の書です。

学んだことや発見したことを書籍などで発表している。

3人とも多くの書物を残しています。

牧野富太郎は25歳で刊行した「植物学雑誌」をはじめ、「日本植物志図篇」「牧野日本植物図鑑」を出版しています。

ファーブルは晩年執筆した有名な「昆虫記」意外にも、小・中学生向けの本も執筆していました。

シートンは若い頃から図書館にて博物学を独学で学びました。辞典などの挿絵以外に、観察日誌として記録していたフィールドノートをもとに、多くの動物物語を執筆しました。また、画家のために執筆した「動物解剖図」では高い描写力が発揮されています。

おすすめの書籍

「牧野富太郎植物画集」 高知県立牧野植物園

「世界の伝記 シートン」 集英社

「世界の伝記 ファーブル」 集英社

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