ディック・ブルーナは、日本ではミッフィーの絵本作家として広く知られています。
しかしながら、絵本作家以外にもグラフィックデザイナーという側面もあり、多様な作品を発表しています。
また、絵本は一見すると可愛らしい見た目をしていますが、多様で奥深いテーマの作品が多数発表されております。
生涯
- 1927年~2017年
- 出身:オランダ・ユトレヒト
- 絵本作家、グラフィックデザイナー
- 代表作:ミッフィー
経歴と作風
若い頃は画家を目指しており、アンリ・マティスやフェルナン・レジェ、デ・ステイルといった現代美術の影響を受けました。
20代の頃は、父親の出版社でグラフィックデザイナーとして働き、「ブラック・ベア」シリーズを生み出しました。
1953年に初めて絵本を制作し、1955年にミッフィーの原点となる作品を出版しました。
作風はシンプルな線と明快な色彩が特徴で、最小限の線と色彩で豊かな表現を行なっています。
グラフィックデザイナーの時代には、線と色彩を意図的にずらした表現も行なっていました。
色彩は「ブルーナカラー」と呼ばれる赤・青・黄・白・黒・灰・茶を用いることが多いです。
絵本のテーマは多様で、ミッフィーシリーズでは子どもの日常を描く作品から、人種差別や障がい、犯罪(万引き)、死といった重めのテーマの作品まであります。
日本での人気は凄まじく、グッズ展開はもとより、展覧会も多数行なっています。
マティスへのリスペクト
「マティスの切り絵を見た瞬間から、彼は私にとって最も重要な人になりました。」
上記の言葉のように、ブルーナはマティスのことを「私の先生」と呼び尊敬していました。
「ミッフィーのたのしいびじゅつかん」では、最後に登場しミッフィーが最も心を揺さぶられる作品として、マティスの切り絵をオマージュした作品が登場しています。
影響を受けた作家
- 学生時代:レンブラント、ファン・ゴッホ、ディズニー
- 20代以降:ピカソ、レジェ、マティス、ブラック
略歴
1927年 8月23日 オランダ・ユトレヒトにて誕生
本名はヘンドリック・マフダレヌス・ブルーナ
生まれつき足が内側に曲がっていおり、幼い頃はギブスをつけて過ごしていた。
ディック・ブルーナのディック(dik)とはオランダ語で「太った、たくましい」の意味で、母親からのニックネーム。
後にサインで使われるdickは英語風の綴り。
1940年 第二次世界大戦、ドイツがオランダに侵攻(13歳)
家族でビルトフォーフェンへ疎開する。
父親の書斎からレンブラントやゴッホの画集と出会う。
1945年 終戦後、ヒルバーサムに引っ越す 高校を中退(18歳)
1947年 パリの出版社にて働く。(20歳)
ギャラリーや美術館を巡り、アンリ・マティスの作品と出会う。
南フランスへの旅行の際に、ロザリオ礼拝堂にてマティスのステンドガラス作品と出会う。
1951年 ブルーナ社の専属グラフィックデザイナーとして入社
ブルーナ社は正式には、「A・W・ブルーナ&ズーン」
ブルーナはその後20年以上、会社員生活を続ける。
父親はブルーナに経営者として会社を継いで欲しかった。
1953年 イレーネと結婚(26歳)
婚約・結婚を機に、父親の出版社「ブルーナ社」にてデザイナーとして働き始める。
1954年には長男シルク、1958年には次男マルク、1961年には長女マドロンが誕生。
初めての絵本「りんごぼうや」を出版する。
ペーパーバック(ソフトカバーの本)の装丁デザインを担当する。
ブルーナは退社するまでに2000冊以上のペーパーバックをデザインした。
1955年 ちいさなうさこちゃん (第1版)を出版(28歳)
1959年 りんごぼうや(第2版)を含む絵本4冊を出版(32歳)
この年から正方形の絵本を出版するようになる。縦横ともに15.5cm
出版した絵本は、
- りんごぼうや
- きいろいことり
- こねこのねる
- ぴーちゃんとふぃーんちゃん
1963年 ちいさなうさこちゃん(第2版)を含む絵本4冊を出版(36歳)
- ちいさなうさこちゃん
- うさこちゃんとどうぶつえん
- ゆきのひのうさこちゃん
- うさこちゃんとうみ
この年に出版した絵本が、現在のブルーナ絵本の原点となる。
これらの作品は1964年に日本で初めて出版される。
その後、1967年に灰色、1969年に茶色がブルーなカラーに加わり、今に至る。
1971年 メルシス社を設立(44歳)
著作物の管理のため、会社を設立。
若い頃からの盟友であるピーター・ブラティンガ(グラフィックデザイナー)が会社の設立に大きく貢献した。
1975年 ブルーナ社を退社(48歳)
退社後は絵本やポスターの制作に注力する。(絵本は年に3〜4冊出版)
2014年(87歳)に引退するまで、精力的に制作に取り組んだ。
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